「苦労は買ってでもしろっ!」って、昔の人は言ってましたが、そんなもの、買いたくないわ😤(笑)
Official 髭男dismのchessboardを、未だに繰り返し聴いていますが
この歌の、「役に立たない思い出」の部分が心に染みる…🤣消したいような過去も…と続きますが、癒されますね、この歌✨
嫌な事、嫌な思い出を、役に立たない思い出に置き換えて、皆様も是非🤣
ホント、役に立たんわ!
いざ、旦那と別れて生活しようと思うと、旦那との会話、旦那との嫌な思い出、全てが役に立たない思い出。良い思い出…なんかあるかなぁ😮💨
私の父は「労働組合側」の人で、裕福ではなかったけれども、この頃のお金がない生活は、今の私にとって役に立つ思い出で、なんとかなるか‥という気持ちになるのですが、そしてこの辺り、労働組合側と経営者側という、娘の旦那さん選び、とは違う角度の反面教師だった‥。
先日、父と、私が育った思い出溢れる地域を一緒に歩きましたが、父の話は貧しかった頃の話が中心なのに、聞いててもの凄く癒された。「この寿司屋、昔、ボーナスが出ると連れて来てたんだぞ!」とも言ってましたが、私の記憶には残って無かった。旦那はボーナスがないので、ボーナスという響き自体が、もはや私には、羨ましい、素敵な響きでは有ります✨
旦那は、経営者の息子として育ち、経営者の後継者として育っていたので、家庭内で交わされる会話の内容が全く違った。私の父は温厚だったし、旦那は気性の激しい人だから違和感は仕方ないのかもしれませんが。書いてて気がつきましたが(笑)、うちはデキ婚なので、今は授かり婚と言うのでしょうか、私の旦那を見る視点は、「父親として」でしたね。だから自分の父と比較している🤣旦那としても最低でしたけど(笑)
また、旦那側の家族内で交わされる会話にも、個人的には、かなり違和感が有りました。
後継者だけれど、玉の輿みたいな、そんな素敵(笑)な物でもなく、結婚後も食べていくのは困らない程度で、お金は全然無かった。
子供達もそんな中育ったので、真のお金のある豊かさ、は、知らずに育った。子供達が高校生になる頃ですかね、少し余裕が出てきたように見えたのは。また、最初に離婚を申し出たのも、ちょうどこの頃でした。
知らないまま育つで、良かったんですかね、娘が結婚後、娘の自宅へ遊びに行った時、激安スーパーを見つけたといい、そこで買う苺が美味しいと、198円の苺を大事そうに抱えて列に並んでいたけれど、あの姿が今でも忘れられない。あの、嬉しそうな顔!🤣
外で旦那の話をすると、「凄い人」と思われるし、単純に「仕事」の範囲内ならば、私も旦那の功績を認めていない訳ではないので、そう思われるのは、まぁ、仕方ないと思う。
旦那が、もし、自分の息子に少しでも目を向ける事が出来たら、私も少し見直すかもしれない。そして、それは今!と、この夏、少し変わり始めた息子に僅かな期待を残し、また、息子にその機会を与えてくれた、誰だかわからない人に感謝している訳ですが、
旦那には無理だろうなぁ、何しろ、
旦那が愛しているのは自分だけ(笑)
人がいないー、人がいないーと家で騒ぐ割には、息子には、敵対視をするばかりで、機会を与えようとさえしない。見えていないのでしょうね。昔は高卒でも、終身雇用で大手にでさえ、入社できたもんなぁ…。いやぁ…ホント、良い時代でした。
私は、SEKAI NO OWARIのサザンカに息子を重ねると、何十回でも泣ける。