バイトの記憶、単なるメモ、、、

あくまでも個人的な感想です。

 

このブログは、最後の審判により保護されています。また、一心同体の、全知、の、聖君ヨセフ様により、同意されます(笑)バイト、といったら、何ばいと、も、有るかもしれないし、その、バイト、は、重いとか軽い、とか、有るかもな、このブログの持ち主は、もしかすると、フォトグラフィカルメモリーの持ち主かもね、、、、、。。。

f:id:rest_of_life:20250601114642j:image

あれは、生徒手帳の中にある、身分証明書を、15歳から16歳に、自分で勝手に書き換えて、バイトの面接を受けると良い、と、そのバイトを紹介してくれた、高校生時代から、今、でも、連絡を取り合う、親友と言ったら、この人、な、和子の誘いから始まる、、、、。。。この和子、当時流行っていたエアロビクスにハマり、なんなら何かのチャンピオンになり、それは確かテレビ放送されてて、現在、は、ヨガ🧘のクラスを受け持ち、また、私のヨガへの興味が、この友達の影響が根底にあるかもしれません。。。ただし、その目覚めは、プーケットでの、あのホテルでの早朝ヨガクラス、、、で、、、あの高い高い、プールサイドで、遥か彼方の海を眺めながら、な、レッスンで、、、あの清々しい、あの時の爽やかな気分を、なんなら週に2回程通っていた、カイロプラクティックの先生に話したら、で、カイロプラクティックの先生といったら、お父さんから、譲り受けたピアノの話で、このピアノは、お父さんが、確か、何かの記念で貰ったピアノで、それが、配送された時には足が折れていた、だの、このピアノは、カイロプラクティックの先生のお宅が、女の子3人だったかの子供がいて、このピアノが、要らなくなった時に、この先生のお宅に譲り、奥さんと2人で、自宅に取りに来た、この先生は、確かボルボに乗ってて、カッコいいと思った、とか、カイロプラクティックの話は、伊勢丹の呉服売り場のカーテン裏で、仕事中、暇で読んでいた、なんだか知らないけど、レジ横に置いてあった冊子に書いてあって、身体の具合が悪くなった時に、、それを思い出して、ググって、近所のカイロプラクティックへ通い始めたのは、伊勢丹での、初商の日、4階だったかな婦人服売り場で、おそらく1000回位、左腕を上げ下げしたから、かもしれない、四十肩らしき、が、おきて、なんなら茶碗も持てないくらいの時に、整形外科に通ってから、治らないので、なんとなく、セカンドオピニオン的に、このカイロプラクティックに変えてみたら、非常に、効果が有り、また、別の機会に通い始め、なんなら、そこで、カイロの治療と、アロママッサージの、セット治療を始めた、だの、その、アロママッサージで仲良くなった人に、圧力鍋をあげた事が有るのは、圧力鍋を買ったは良いけど、怖くて使えず、あげたやつで、圧力鍋といったら、、みぃちゃんで、この妹は、使いこなしていたし、東のお母さんは、これで、良くゼンザイを作っていたなぁ、とか、になるので、なんなら、みぃちゃんや、ああちゃんの話まで膨らんじゃったし、どうしましょうの、回は有る?、、、、、

逗子だか、葉山だかで、、葉山と言ったら、千葉君で、千葉君は、旦那と同じ、日米会話学院での、共通の友達で、の海辺で、早朝のヨガ🧘クラスを見かけた事が有るという、この先生に、で、この先生は、サーフィンをしに、そこらの海へ通っていたので、今、思っている事は、話が膨らみ過ぎて、いつ、バイトの話に戻せるか、んー、メモだし、まあいいか、、、、😶‍🌫️(笑)